扉
創造性を育てる風土
松村 浩
1
1関西医科大学脳神経外科
pp.515-516
発行日 1976年6月10日
Published Date 1976/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436200460
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我々が知りうるかぎりのCushingの最も古い論文が1902年に発表されていることから,近代脳神経外科が軌道に乗ったのは,1900年を少し過ぎた頃であったろうか.我が国のそれが約40年遅れて出発したとしても,もうかなりの歴史的重みを持つ学問となった,昭和20年代の後半に医局員として初めてこの学問に接することができた私どもにとって,この間の世界の,また日本の学問上の進歩には,振り返ってやはり驚かざるをえない.とともに,日本の脳神経外科学の進歩向上も,単に脳神経外科学者の努力ということだけでなく,日本の国力,特に日本全体の科学や経済の力の向上と,それによる日本人の自信獲得が大きく作用しているように思われる.
私どもの医局時代,病院の窓ガラスの割れた所に板がはめられ,研究室には老旧化した研究器具しかなく,街には西部劇まがいの暫定的家屋が乱立していた.その頃でも,研究室ではかなり盛んな研究活動が日夜続けられていたはずで,なかには国際的視野からみて卓越した研究もあったであろうが,その頃は,日本人の論文が"Journal of Neurosurgery"に掲載されるなどと誰も考えてみなかった.最近のように,毎号数篇の日本からの論文が誌上を賑わすなど,その頃からみると夢のようなことである.
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