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最近まで頭のてつぺんから足の先まで専門であるという外科の教授があつた。今では通用しないかも知れないが,当時はそのまままかり通つた。医学の微に入り,細にわたる研究で広汎な領域を果して教授の意図のまま成果があがつたであろうか。臨床講座の改革と称するものの一つの大きな課題としてとり上げられている所以もここに存するように思う。稀にはあらゆる分野に堪能な人もあろうが,人間には能力の限界があり,私ども耳鼻咽喉科にしても専門分科の一般的専門的知識はあつても,これらすべての基礎的探究から臨床的事項まで蘊奥を極めた人は先ずあるまい。だから臨床医学教育はそれぞれの分科の一般的専門教育が主で,それと共に若い人達がある部門を探究せんとすれば,それを延ばすよう努力するのは臨床面における医育者の務めではないかと私は考える。
臨床医学教育は大学でなければ満足なものではないと多くの若い諸君が考えているようである。かつてのインターン制度時代を振りかえつてもわかるが,私が大学へもどつた頃,その実態をみて唖然とした。大学で修練している大部分のものはまつたく何をしているかわからず外へのアルバイト暮しで,卒業後の1年間無為に暮したといつて過言ではない。まつたくエックスターンであつた。それに比べて地方の修練病院にいたものはそれ相当の修練を積んでいたように思う。私は地方病院に勤務していた10数年間に150名位の修練生を送り出した。その教育に当つては一般臨床教育と共に植えつけたものは医師と患者の人間関係の確立を主とした。医療というものは人間関係樹立の上で習得さるべきものであるという信念をもつて教育に当つた。当時の若い人達は社会医療の中堅として働いているが,自讃ではないがインターンは有意義であつたと今でもいつている。
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