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随筆—林子平とHeinrich Julius Klaprothとのこと—1961年夏のミユンヘンの想出
大藤 敏三
1
1日本医科大学耳鼻咽喉科学
pp.75-77
発行日 1964年1月20日
Published Date 1964/1/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492203200
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まずクラップロートとは何者であろうか。Heinrich Julius Klaproth(1783〜1835)は1783年10月11日にベルリンで生れた地理学者で特に東洋の地図を精査した点で後世に不易の名を遺した人。畢生の仕事はAsia Polyglotta(パリ出版1823〜1831)でSprachatlas附きの大著である。船と足で歩く調査旅行以外はパリに留つて,そこで死んでいる。彼の仕事の援助者は,プロシャ王でパリ滞在のままでその仕事の完成を援けて彼にProfessor of Asiatic languages and literatureの称号を与えて厚く遇している。これについてはフンボルトHumboldtが,斡旋の労を取つた事は有名である。
この外の著述としてはアジア,コウカサス地方の旅行記が,1807,1808年に独乙語で書かれ後にこれは仏語に訳されて1812〜14年にパリで出版されている。1826年に出版されたTableaux historiques de l'Asieは有名である。以上が大英百科辞典による生活史の概略である。
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