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ドイツ通信—ミユンヘンにて
樋口 謙太郎
1
1九州大学
pp.537
発行日 1957年6月1日
Published Date 1957/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491201987
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私が大学を卒業して背広というものを着だした頃はもちろんソフトかパナマの帽子をかぶつたものです。当時夏にはカンカン帽が流行していたのですが,性に合わないせいか用うる気にはなりませんでした。しかし酒でも飲むと拳でポンと突くとうまい具合に天蓋の部分が抜けて景気のよかつた記憶はあります。五十銭か一円出せば新しいのが手にいりましたので,惜し気もなく誰のでも手当り次第にやつつけたものです。戦爭中はソフトやカンカン帽をかぶるのはむしろおかしく,頭も坊主のせいか戦斗帽一式に変つてしまいました。そして戦爭がすむと何時の間にか無帽主義になつている私を発見しました。別にアメリカ人の真似をしたわけでもないのですが,一般に無帽の人が多くなつた風潮の影響もあるでしようし,元来物ぐさの私は厄介なものはなるべく用いない主義と段々年をとつて来るので頭髪の薄くならないための予防手段をも考慮に入れたものと思われます。
今度外遊に当つて,欧州の様子を聞きますと,大体帽子をかぶつているのが本式だとのことでしたから,ローマあたりで有名なボルサリノでも購入して行こうと考えていたのですが,ローマではボルサリノの広告をあちこちでみておきながら帽子のことはとんと忘れていました。ドイツに来るとなるほど年輩の人はソフトを用いています。しかし若い人達は無帽が大部分です。ベレー帽をかぶっている人もかなり見受けます。
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