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人物スケッチ(その2)松本 彌博士
西端 驥一
pp.593-594
発行日 1963年7月20日
Published Date 1963/7/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492203083
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松本君が亡くなつた。昭和36年11月11日午後8時である。風呂に入つてから脳溢血を起こしてそのままだつたという。当時慶大における退職,後任問題,国際学会の問題と私の身辺には嵐が吹きまくつていて東京を離れることが困難であつたし,松本君が物言わぬむくろになつてしまつた神戸は私にとつて余りにも荒涼たる感じで出かける勇気がなかつた。冷淡と非難しないで欲しい。
真実肉身を失つた以上に私は寂しかつたのだ。心の友を失う悲しさは骨身に徹して感じた。神戸の松本邸に宿ると私の習慣を知つてる君はいつも二階の二間を提供してくれて,昼間から万年床を敷いて読物を枕元に置いて元町の診療所に出かける。それで私は自宅に居るような気持でくつろぐ。昼食頃元町に行くと,色々な珍らしいものを喰べさせる小料理店につれて行つてくれた。営業時間でなくても同君の顔で我盤が通るので驚いた。無雑作な銀髪と顔面神経麻痺(?)のような歪んだ表情,ゆつくりした静かな関西弁。意表をつく洒脱な文句は相手を怒らせないで笑わせる。深夜のタキシーの中で運転手に「オイ今日はいくら儲かつたか?それをそつくり出せ」などと飛んでもないセリフを浴せるので私はびつくりするが,柔かい関西弁と君の独特のニュアンスが少しも相手を怒らせないから妙である。何んとも味のある風格だ。
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