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1.臨床総論的現象としての構成
「精神疾患の構成」(Birnbaum)は単に偶然に本叢書の精神病理学総論の部に直接接続されて,同時に臨床各論の先頭に立っているだけではない。むしろ本質的にそうあるべき性質のものであったのである。構成的考察は本来総論部から各論部への移行を媒介し,両者の繋ぎをなすのだから。構成考察は精神病理学総論的性質の非独立的な部分像や個別像から,臨床的全体性や統一性の複雑な独立的形成へ直接的に導く。この意味における構成というのはしたがって一つの精神医学的中間概念訳注)である。もっとはっきりいえば,精神病理学総論的(症候や症候群の)諸概念や臨床各論的(疾病の)諸概念とは反対に臨床総論的一概念(ein allgemein-klinischer Begriff)である。それは原則的には,臨床的経験から提出される合成的諸形成に関係し(したがってそれを前提にするので),かの単なる精神病理学総論的所与を越えて,より高次の(臨床的)構造に進入するとき初めて問題になることでもある。構成が係わる構造とはどんな種類のものなのか,あるいはあらねばならないかは,それ自体予め確定されていないし,また確定されるべきものではなくて,むしろ臨床をそのような高次的合成の形成として考察するとき臨床がきわ立たせているもの,臨床を理解し,評価するとき臨床が特に重点をおいているものに係わってくることである。歴史的に作り出され,現在も一般に決定的と承認されて,将来に対しても道標と認められるような臨床疾病論的立場にとって,疾病形態こそ本質的に,臨床医学が構成考察に苦労しなければならないあの合成的全一性と統一性とを提供するものである。もし今後の臨床的発展がその他の,例えば臨床的反応形態の形式に見られる如き—特にまとまりの乏しい—臨床単位や,あるいは状態や経過の組み合わせに従う如き,包括性に乏しい臨床単位に導くようなことになったとしても,例えば構成的考察を止める理由はそれ自体としては存在しない。その際は組み合わせについて観点の無論それ相応の変更が企てられなければならないだろうから。
いずれにしてもここでは,臨床的によく承認されて,科学的にも実地にも最も重要な,高次合成の精神医学的単位像としての疾病形態のみ取り上げるので,専ら精神疾患の構成を取り扱うだけである。精神疾患というのは—前以て原理的観点を確立しておくならば—例えば実地的目的のためにととのえられた型とか,あるいは単なる蓋然的虚構に従って科学的に案出された組立てのためにととのえられた型などと見るべきではなくて,むしろ自然科学的・経験的性質をもつ現実の所与である。しかも精神疾患とは,臨床現象の,特性と成行きから見て規則的に反復し,それ故に内的聯関と共属性とを指示するまとまった諸系列であって,その臨床的諸現象はある種の(多少に拘らず確実に証明されうる)特殊な動因(Agens)に規則正しく所属することによって単位的に惹起されていることが示されるものである。これによって私どもは決して既に以前から(Hoche),そして特に最近Bumkeによって切実に臨床全域のこの承認されている中核現象に対して挙げられた原則的且つ経験的な反駁の意味を見誤るものではない。就中,この疾病論的諸単位はそれを臨床的に利用し,体系的に貫徹するとき役に立たないことが度度であること,更に構成的疾病諸要因の多様な非特異性,個々の疾病単位の雑多な合成(外因性成分と内因性成分との),決定的病因的要因さえもの外見上の非特異性,そして最後に,疾病過程外にあって患者個人内に前以て準備されてあった諸形成が疾患複合に関与することなどの反駁が挙げられていた。しかしこれら反駁の全ても(またここに挙げないその他の反駁も),私どもが「精神医学的疾病定立の検討」の中で詳論し,基礎づけとしておいた如く,この真の,自然法則的に確認された複合的臨床的単位としての疾病形態を簡単に放棄するには足りないと思う。私どもとしてもこれらの疾病形態はなお本質的な変更を必要とすること,そして何を措いてもそれらの今までに数多く具体的に特殊規定された諸部分や,固く輪廓づけられた硬直的諸形態などは,もっと一般的なまとまりと,より広範な把捉に代らなければならないだろう,ということは告白するにしてもである。
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