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視性眼振に就いてはHermholz,以來Bárány,Fischer,Weizsäcker,星野等に依り,澤山の研究が有る。云う迄も無く眼前を移動する事物を見る事に依つて,即ち網膜に相次いで移動する事物の映像がうつる事が刺戟となる事により,律動的な眼球運動が發來するので有るが,此の眼振の名稱は鐵道眼振(Eisenbahnnystagmus,Bárány),視性眼振,又は視性廻轉性眼振(Optischer Nystagmus od. Optischer DrehNytagmus,Ohm)或は視機性眼振(Optokinetischer Nystagmus,Fischer)とも呼ばれている。此の眼振は我々が日常生活に於て,走る汽車,電車より窓外を見ると,見る人の眼に簡單に觀察される現象で,故にBárányは此れをEisenbahnnystagmusと名附けたので有るが,彼が此の眼振に注意したのは迷路を刺戟して發來する迷路性眼振(Labyrintharer Nystagmus)と酷似した眼球運動で有る點で,即ち汽車,電車の進行方向に向う急速相と反對方向に向う緩徐相とからなつている機構の故で有る。思うに眼振の生理は,此のBárányの歴史が物語る樣に常に迷路を中心として考えられて來ている。即ち迷路刺戟によつて眼振が發來する事の發見以來,眼振が迷路機能の一客觀的表出として重視されて,Bárányが鐵道眼振を取り上げた所以も,此れが迷路性眼振に酷似する點にあつたので有る。しかし我々が本年の總會に於て報告せ如く,眼振とは視性に起るのが,本來の姿で有る事が,系統發生的に證明される。甲殼類の蟹を例として報告したが,かゝる平衡嚢のみにして半規管なき平衡器は視覺を遮斷した場合廻轉性眼振は勿論,廻轉性後眼振も毫も起らないが,視性眼振は實に活溌に起る。故に視性眼振の生理は從來の研究の如く迷路性眼振の從者としてではなく,此れを主役としてあつかう必要が有る。云い換れば平衡嚢が發達して半規管が此れに現われた場合,はじめて迷路が眼振に參加する事を我々はよく理解せねばならないと思う。
我々は平衡生理の研究の當然の發展として,迷路より出發し,此の窓を出て視覺の重要性を把握し,又全身の各受容器に平衡機能の重大な役割りの分擔を認めて來ているが,本篇に於ては視覺の問題に關し特に視性眼振をとり上げ,此れと姿勢の關係を,運動失調並びに眩暈を客觀的,主觀的の裏附けとして述べて見たい。こゝに云う姿勢とはHaltung,Postureの意味で,骨格筋の構成するいわゆる姿勢のみでなく,眼球の眼窩に於ける位置をも意味する事を初めに申し上げておきたい。
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