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子供の頃からあばれる事が大好きで,小学校2年生の頃から近所の子供が集まつて野球のチームを作り,盛んに他の町内のチームと試合をしていた。新潟市はその頃籠球王国としてしられており,中学,商業,師範,女学校共に全国的に強かつたし,小学校にも籠球のチームが沢山あつた。私の通つていた礎小学校でもドッチボールの上手い生徒を集めて4年生から上の生徒は籠球をやつており,県下の小学校の大会も開かれていた。丁度私が6年生の時は3連覇の年にあたり,見事優勝して優勝旗カップ等を永久に獲得して感激したことが思い出される。新潟中学に進み5年生の時に中学の部で全国大会に優勝し,商業の部,師範の部,女学校の部と四部に新潟市の各校が完全優勝し大いに喜びあつた事は忘れることが出来ない。高等学校(旧制)時代は戦争の為全国大会は中止になり新潟高校は運動各部とも全国制覇をなしとげた部がなく,籠球部は優勝のチャンスであつたので部員先輩共に大いに残念がつたものである。大学に進んでもやつており,卒業するまでリーグ戦には優勝していた。昭和21年には東西対抗戦で東大のレギューラ5名がそつくり選ばれ1チームを作り関西大学選抜軍を軽く下し,ついでに東大としても関西の諸大学に全勝した。昭和22年の全日本選手権大会では新潟クラブに1ゴール差で敗れたが,その時には昭和18年入学クラスの他の学部の晦中は既に卒業していたので私1人だけ残つており,その連中が残つている時に行われたならばと残念がつたものである。
また前回のオリンピック東京大会が中止になり絶好のチャンスを失つたことも悲しい思い出である。現在の日本の籠球が弱いことは色々な理由があると思いますが,やはり強くなる為には子供の頃からやるという事も一つの大きな要素ではないかと考えている。
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