--------------------
思いつくまま(34) 絵具箱
仁平 寛巳
pp.215
発行日 1964年2月1日
Published Date 1964/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491203715
- 有料閲覧
- 文献概要
敗戦の年,昭和20年は私が医学部に入つてまだ1年も経つていない時であつた。戦争末期とはいえ京都は一度も爆撃を受けず,他の都市に住んでいた友人達が訪れては京都の生活はのんびりしていていいなあと羨しがられた。極度の物資不足による生活の困難さ以外には戦争というものの姿を直接には知らずに過して来たが,夏が近づくにつれて戦局の重大さが身にしみて,私の命もこの年一杯あるだろうかと考えるようになつた。それでも一人だけ死ぬのではないし,また極く接近しないことには恐怖感は湧かないから実感には程遠いものであつたが,一つだけ非常に気がかりなことが起つた。
生れてから20余年になるが,これまでに自ら創り出した自分のものが何一つないことに気がついたのである。あたりを見廻してもすべて他の人の智識とそれによつて作られたものばかり。いくら修業中の身とはいえ,これでは甚だなさけない。戦争という大きなローラーが通り過ぎれば大抵のものは消滅してしまうだろうが,それまでの間でもいいから自分のものを持ちたい,創り出すことの真似事でもしたいと考えて始めたのが油絵である。
Copyright © 1964, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.