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Uroselektan B (50%)はよる排泄性腎盂撮影法
稻田 務
1
,
加藤 篤二
1
,
後藤 薰
1
,
大孝 森郞
1
1京都大學醫學部泌尿器科教室
pp.853-856
発行日 1953年12月1日
Published Date 1953/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491201106
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I.緒言
排泄性腎盂撮影法は1923年米國のMayo ClinikのRowntree,Osborne,Scholl,SutherlandのNaJの靜注に始まり,1924年にRosenstein,Lichtenberg 及び Volkmannの追試があつたが,何れも腎盂撮影の充分な目的を達しなかつた。1929年にKöln大學のA.Rosenoは沃那を尿素に結合せしめたものをPyelognostと稱して使用し,薄いながらも腎盂像を得るに至つたが,副作用が相當に劇しく,普及に至らなかつた。同年にベルリンのLandwissenschaftliche Hochs-chuleの化學研究所でBinz,Rätzにより創製されたSelektanneŭtralに就てLichtenbergSwickが臨床的検査を行い,從來にない明瞭な像を得,之が改良されてUroselektanとして市販された。Uroselektanの發見の翌年1930年にOssenbecker,TietzによつてAbrodilがBayer會社より發賣された。この兩者は優秀なものであつたが粉末のまゝで發賣され,使用に當り注射操作が頗る複雑であつたので,Uroselektan BとPerabrodilが出現した。
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