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列序性母斑の統計的觀察
鎌田 修一
1
1東北大學醫學部皮膚科教室
pp.146-148
発行日 1950年4月1日
Published Date 1950/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491200333
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緒言
列序性母斑(Naevlls systimaticus)は古く線状母斑(Naevus linealis)と稱せられ,1863年Bärensprungは神經説を唱へ神經母斑(Nervennaevus)とした。而も其の大半が一側性に來るので偏側性母斑(Naevus unius lateralis)なる名でも呼ばれている。Philipson及びHallopoauは神経境界説を唱えJadasshon及びBlaschkoは之を支持している。Blaschkoは更に1895年皮膚節説(Metamere Theorie)なる假説をたて,又其の排列方向が毛流に一致せるを見て毛流説を唱へている又Virchowの裂溝説(Fissurale Theorie),Langerの割線方向説等諸説あるも列序性母斑の發生機轉は未だ決定したとは言ひかねる。而してBesnier及びHallopeauが列序性母斑なる名稱を提唱し,Jadasshonが線状母斑より列序母斑の方が適當であるとしてよりこの名が汎く用ひられ,本邦に於ても岡村,高木,大野,二宮,桐島等に依り詳細な報告がなされ,更に個々の症例報告は枚擧に暇なき程である。
吾が教室に於て昭和14年より昭和23年に至る10カ年間に列序牲母斑患者38例を經驗したので,之に就いて統計的觀察を試みた。
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