扉
教育する立場に立たされて
伊藤 治英
1
1山口大学脳神経外科
pp.319-320
発行日 1990年4月10日
Published Date 1990/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436900053
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山口大学に赴任して萩市の松陰神社境内にある松下村塾を訪ねる機会があった.それは物置を改造した粗末な背の低い木造平屋建ての8畳と10畳敷の講義室である.明倫館は萩の藩校で官学に相当し,松下村塾は私学である.吉田松陰による1年半ほどの短期間の開講で,明治維新と明治時代に活躍した多数の首相,大臣,および軍人を輩出した.山口言葉が標準語の母体になるなど,日本に与えた影響は大きい.真の教育は学歴や立派な教育施設ではない.それは物質的環境を越えた精神の偉大な影響力による.教育内容は当時の主流であった朱子学,それに対立する陽明学に加えて,国学と海外の情報を教えている.青春時代に接触する教師の影響力は絶大である.学生や新入局の教育に当り責任の重大さが心に沁みる.学生は卒業するまでに膨大な知識の詰め込みが要求され,教科書の理解と記憶により人間の価値が決められる.ゆっくり考えていたのでは取り残される時世である.好奇心に満ちた輝く児童の眼は卒業までに失われる.医学部学生の教育目的の第一は知的好奇心を植え付けることである.一時代前は一度習った知識は一生通じた.今では数年経ずして時代遅れとなる.知的好奇心の持続が要求される.膨大な知識の蓄積でなく,将来身につけるための頭脳の鍛錬,即ち精神の集中と固定法を指導する.
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