- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
留学から帰国して,この原稿を執筆している7月で早1年を過ぎようとし,今ゆっくりと当時を振り返ってみると,自分の興味のある仕事に純粋に集中でき,また,現在の大学病院での日常とはあらゆる面でかけ離れた日々を過ごせたことなどから,自分にとって,また家族にとっても,かけがえのない時間だったと懐かしい思いになります.サンディエゴは当然のように未だに地球上の最も愛すべき場所のひとつであり,留学はまさに偶然がいたずらする人生における大きな出会いの1コマでした.行った国や地域,またそこで学ぶことによってその後に与える影響が多大であるにもかかわらず,留学してみなけらばわからない不確実なことだらけなのが憎いところです.
ただ,自分にとってこの留学という出会いは,ある程度自然な流れでした.東京大学脳神経外科先代教授の桐野高明先生から,「留学したいなら大学院4年間をのんびり過ごすのでなく,早く切り上げるつもりで行きなさい」と言われていたこともあり,当時大学院2年生であり東京大学先端科学技術センターゲノムサイエンス部門(油谷浩幸教授)に所属し,マイクロアレイによる遺伝子発現プロファイル解析をテーマに選んでいた自分は,その研究を発展できる留学先を探していたものの決めあぐねておりました.そこに,医局の脳腫瘍グループの先輩であり,90年代初頭にLudwig Instituteに留学され大きな業績をあげていた西川 亮先生(現・埼玉医科大学国際医療センター脳・脊髄腫瘍科)と,当時同研究所に留学中であった成田善孝先生(現・国立がんセンター中央病院脳神経外科)から,ここに留学すればマイクロアレイの結果を発展できる分子生物学から細胞生物学,または動物モデルに到るような仕事ができるとの誘いを受け大きく心が動きました.そして当時,脳神経外科で実験を指導してくださっていた植木敬介先生(現・獨協医科大学病院脳神経外科)にも快く賛同していただき,Ludwig InstituteのSan Diego branchのdirectorでもあり研究室のボスでもあるWebster K. Cavenee博士からも,西川先生の紹介ならすぐにでもOKというお言葉があったため,この話がとんとん拍子にすすんで,大学院生のうちに留学が決まったわけです.同研究所には,西川先生,成田先生の他,医局から永根基雄先生(現・杏林大学脳神経外科),三島一彦先生(現・埼玉医科大学国際医療センター脳・脊髄腫瘍科)も先に留学しており,やはり高い評価を受けていたため,自分は立派な先輩方に引いていただいたレールの上をまっすぐ進むことができたという感じでした.
Copyright © 2008, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.