特集 マインドフルネスを医療現場に活かす
理論を学ぶ
マインドフルネスと仏教瞑想—曹洞禅の観点から
藤田 一照
1
1曹洞宗国際センター
pp.30-35
発行日 2018年2月15日
Published Date 2018/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1430200253
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仏教瞑想のひとつとしての坐禅
仏教の開祖とされるゴータマ・ブッダ(以下、ブッダと略記)がどのような生涯を送ったかということについて記された、いわゆる「仏伝」の内容には必ずしも歴史的事実とは言えないものが多く含まれている。したがって、我々としてはそれを「史実history」としてではなく、仏教の伝統が大切に守り育ててきた開祖についての「物語story」として理解し解釈すべきだろう。そして、この「物語」のなかには、仏教の教義や実践の本質を理解するうえで非常に参考になるエピソードがちりばめられている。本論考のテーマのひとつである仏教瞑想ということで言えば、ブッダが城を出た後、当時高名であった瞑想の師の所に赴き、その人物が教えている修定型(禅定と呼ばれる特定の境地に達することを目指す)の瞑想法を学んだというエピソードに注目しなければならない。彼は、まず当時既に確立されていた瞑想技法を師の指導の下で習得しようとしたのである。
ブッダはこのようなタイプの瞑想に関して優れた才能があったらしく、久しからずして師の説く境地を極めることができた。しかし、それが「智にみちびかず、覚にみちびかず、寂静涅槃にみちびかざるもの」であることを知ってこの師の下を去っている。ブッダは更にもう一人の瞑想の師について学ぶのだが、そこでも同じことが繰り返されたにすぎなかった。この後、当時主流のもうひとつの宗教的行法であった苦行に取り組み、それを徹底的に試してみるのだが、それもまた彼が求めている人生問題の終極的解決には役に立たないと知り、それを放棄することになる。
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