鏡下咡語
禅と脳
本庄 巖
1
1京都大学
pp.612-613
発行日 2001年8月20日
Published Date 2001/8/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1411902409
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人工内耳装用者の言葉の聞き取りが意外に良いので,大脳のレベルで一体どうなっているのだろうかと,脳機能画像の助けをかりて調べているうちに,言語と脳との関係に十年ばかり深入りし,最後には意識といったヒトの心の本体にも一応の医学的な決着をつけたつもりでいた。
ところがちょうどその頃,あるきっかけで医学とは縁遠い東洋の禅と接触するようになった。前置きが少し長くなることをお許しいただきたいが,私の郷里の高校の恩師に数十年ぶりにお会いしたところ,人間禅という在家の禅の全国組織の中で,最高位の老師になっておられた。大学病院でその方の難聴の診療をしたのが縁で,一度道場に来てみないかといわれ,私の方にもいささか求道の心があったので,恐る恐る道場を訪ねてみた。何度か見学しているうちに,老師から禅を通して会話をしてみたいというお言葉を頂き入門を決意した。家族の者は変な宗教団体ではないかと心配してくれたが,会員はいずれも社会的地位の高い方ばかりで,和気藹々とした会の雰囲気に魅せられたせいもある。入門に際しての会では,「暗闇に後ろ向きに入ってゆく不安を感じる」と申し上げたが,それまで私なりに積み上げてきた自然科学の論理的な思考がここでは全く無力なことは予感していた。
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