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あとがき
梶 龍兒
pp.630
発行日 2011年6月1日
Published Date 2011/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1416100940
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あとがき
3月11日,私は島根県のある患者さんを診察するため,松江にいた。ちょうど3時ごろ診察が終わり,病院を出で駅に向かおうとしたときに,看護師さんが「先生,関東のほうで大きな地震があったようですよ,気をつけてお帰りください」と言ってくれた。ちょうど病院のテレビがついていたので見てみると,ヘリコプターからの映像で,津波が仙台付近の海岸と河口から信じられない速さでそ上しているのが映し出されていた。その200~300m先には何も知らないかのように農道を軽四輪がゆっくりと動いていた。「これは危ない!」と思った瞬間,テレビの中継が途絶えた。日本のマスコミはおそらく「最も悲惨なシーン」を伝えることを自粛するのであろう。その後,徳島に帰ってからメディアにくぎ付けになっていたが,本当に悲惨な現状はかえって海外のメディアによって伝えられていた。すぐに海外の知り合いから山のように私の安否を心配するメールがやってきたが,おそらくフクシマとトクシマを混同していたようである。悲惨な現実をあえて伝えない理由は沢山あると思う。しかし,日本の報道だけで本当の被災地の姿を知るためには,報道の背景にいる人々への共感と想像力が必要であるように思う。徳島にいて何もできなかった自分が歯がゆいが,事実が風化しないように見守りたい。
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