Editorial
EBM黎明期からQuality Indicatorへ
福井 次矢
1
1聖路加国際病院
pp.535
発行日 2011年7月15日
Published Date 2011/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1414102223
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1980年代前半,私はボストンの病院の一般内科のクリニカル・フェローで,当時,新たな診療分野であった「プライマリ・ケア内科」を専攻した若い同僚医師とともに,臨床現場での研究を行うには必須の学問として臨床疫学を熱狂的に学びました.それが高じて,ハーバード大学公衆衛生大学院の修士課程に入学し,疫学,統計学,決断科学,行動科学,医療政策管理学などを学び,1984年に帰国しました.
当時まで,欧米の公衆衛生大学院で修士号を取得した医師のほとんどは,帰国後,厚生労働省(当時は厚生省)の技官になっていて,私も厚生省本省からのお誘いを受け,実際約半年間,厚生労働省本省に週1日併任で務めました.しかし最終的には,私には臨床医の立場から臨床疫学の仕事を続けるのが適していると判断して,本省での職はお断りしました.
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