教室だより
弘前大学
白岩 康夫
1
1弘前大学
pp.298
発行日 1967年3月20日
Published Date 1967/3/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200137
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弘前大学は新しい大学である。設立当初から教室も大学とともに苦難の途を歩いた。昭和20年4月,第2次大戦が末期に近づいた時,青森医学専門学校皮膚科泌尿器科教室として発足したものの,7月の青森大空襲によつて焼失し,当時青森市にあつた大学は落ちつく先がないまま学校自体が存廃の危機にさらされ,昭和22年3月弘前市に移転した。その後学制改革にともない,昭和23年7月弘前医科大学皮膚科泌尿器科教室,昭和28年弘前大学医学部皮膚科泌尿器科教室と相ついで名称を変更することになつた。この間杉山萬喜蔵教授が教室を主宰され,第17回皮膚科・第18回泌尿器科東日本連合地方会を開催する他教室の発展に尽された。杉山教授が急逝された後,昭和32年5月帷子康雄教授が皮膚科泌尿器科教授として就任された。その後昭和37年皮膚科と泌尿器科の分離が実現し,東北大学から外科学に御造詣の深い舟生富寿教授を迎え,弘前大学医学部泌尿器科学教室として9月開講の運びとなり,ここに面目一新,新しい第1歩を踏み出したのである。
教室のテーマは多彩であるが,先ず泌尿器科手術法には充分な検討が行なわれていない点があると思われるので,教授の豊富な外科経験を生かし,種々手術法の改良を行なつている。今までに発表されたもの,または発表予定のものとして後部尿道,尿管下部結石,膀胱腟瘻,前立腺肥大症などに対する手術法の他,被膜内前立腺摘除術がある。
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