教室紹介
長崎大学/弘前大学
今福 武
pp.312-313
発行日 1967年3月10日
Published Date 1967/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1412200121
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教室の歴史
本学は安政4年にポンペにより開講されたもので,彼は当時長崎における性病の蔓延を憤り種々の対策を講じ,検梅を実施したが,性病対策は明治初年より衛生行政中に含まれ,さらに外科学の1分科として取扱はれるようになり,田代正教諭が長崎医学校時代以後講座を分担された。
明治40年10月に長崎医学専問学校が整備され,須藤謙治教授が外科学教授として,主として皮膚病および梅毒病学を分担されて以来,独立の要請が強くなり,大正2年須藤教授の辞任後,青木大勇先生が大正3年5月23日に専任教授として着任されここにはじめて教室が独立しました。爾後,笹川正男教授,広田康教授,加藤泰教授,駒屋銀治教授,高橋信吉教授,北村包彦教授,北村精一教授,現野北通夫教授まで9代,教室独立後53年の歴史を有しております。現在まで教室の辿つた道は決して平担なものでなく,ことに北村包彦教授の時代は支那事変につぐ大東亜戦争と内外共に多難な時代で,ことにその終りには原爆により母校は全く壊滅的な被害をこうむり,教授御自身も被爆される憂き目にあわれましたが,昭和21年に東大に転出され,後任に北村精一教授を迎えました。教授は研究室すらなかつた教室を再建され,厖大な研究業績をあげられると共に,種々の要職を歴任され,存続すら危ぶまれた母校を見事に復興された恩人で,昭和35年には泌尿器科が分離されて,岐阜医大より近藤厚教授を迎え,同年8月1日,現野北通夫教授が皮膚科講座を担当されて現在に至つております。
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