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編集後記
大家 基嗣
pp.440
発行日 2012年5月20日
Published Date 2012/5/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413102821
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小学生の頃に抱いた疑問があります。私は生まれが京都です。家には毎月お坊さんが読経をあげに来てくださっていました。たまたま居合わせると仏壇に向かって正座をしてお勤めをしなければなりません。結構長い時間です。これが負担でした。と言いますのも,お経の意味はわからないし,じっとしているのも苦痛です。さらに,終わったときには足がしびれて立てません。読者の皆様も法事で正座した後に足がしびれてつらい経験をされたことがあるのではないでしょうか。お勤めが終わったとき,お坊さんは平気ですーっと立たれます。小学生の私は母に「なぜお坊さんは足がしびれないの?」と聞きました。母は,「お坊さんは若い頃から修行をされているからよ」と答えました。当時の私はこの回答に納得していたのですが,今から考えるとこれは答えにはなっていません。正座をしてもしびれないなにか理由があるはずです。この疑問はいまだ解決されない,私にとっての謎の1つです。
8年前に玄侑宗久氏の『禅的生活』(ちくま新書)を読んで驚いたことがありました。息を吐いて延髄のあたりを意識するとあくびが出るというのです。半信半疑でやってみると,確かにあくびがでます。お坊さんは私達が知らない身体の操縦法をたくさん知っているのではないか。おそらく一般には知られていないことが宗派ごとに伝授されていて,それが宗教的な体験と重なっているのではないかと考えました。正座をしても足が痺れない方法は書かれてはいませんでしたが,身体をコントロールする方法の存在を認識させてくれました。
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