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大学を卒業して直ちに,いま奉職している病院の内科ジュニアレジデントとなった.皮膚科医になるにしても,general medicineやprimary careを修得すべきだと考えたし,何よりも,アメリカスタイルのレジデント生活に憧れた.院内では,汚れてもいいように白衣のズボンをはき,夜,廊下を走っても音がたたないように専用のシューズを揃えた.かなり多忙だったことは,1年間に,主治医として10数枚の死亡診断書を書いたことからもうかがわれる.麻酔科もローテートし,何でもできる自信がついていた.しかし,あるときふと自分がマニュアル医者になりつつあることに戦慄を覚えた.血圧が低下すれば何をし,呼吸が停止したら何をするという具合に,すべてマニュアルをたたき込んであったが,自分で創造的に考えるということがなくなっていた.そこで思い切って大学へ戻ったが,レジデントとして修得した技術は,重宝がられはしたが評価はされなかった.それから数年の実験生活ののち,アメリカで皮膚科のレジデントと接する機会があったが,彼らは,教科書を全部暗記しているほど知識があった.カンファレンスで臨床写真が1枚出れば,山ほど鑑別疾患を挙げ,ホワイトボードにぎっしり鑑別点を列挙するほどの力量があり,日本の研修医とは比べものにならないほど勉強していた.しかし,実験のアイディアなどには乏しかった.こういうレジデントの中から,どうやって優秀な研究者が輩出されるのか今もって判らないが,彼らもどこかで努力しているはずだと思う.
今になって考えてみると,自分の,臨床から離れられない研究というのは,レジデント時代に培われたのかもしれないと思う.general physicianたろうとしたことは,他臓器から皮膚をみつめようという発想につながったし,しかも,内科とは識別されるべき皮膚科学を常に念頭におくようになった.そう思うと,あのレジデント生活は決して無駄ではなかった.むしろ,臨床と研究の両輪を橋渡しする素地となってきた気もする.病棟医長になったとき,もうレジデント時代の技量は衰えていたはずなのに妙な自信だけが残っている自分に苦笑してしまったことがある.今の,第一線の皮膚科の臨床で学んでいることも,いつか自分の研究にうまく反映されたらいいなと思う.
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