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平成10年11月26日,岐阜市で開催された第57回日本平衡神経科学会でWallenberg症候群のMRIに関する展示発表を終えて,その帰途,かねてからの念願であった明治村を訪れたのであるが,閉門午後3時ということで閉め出され,旧八高正門(この門は私の母校七高の門よりかなり立派なものであった)であったという明治村の正門の前で記念撮影をしただけで,美濃紙の本場であり江戸時代の旧家の町並みで知られる美濃市に立ち寄った。ここで「うだつ」の上がる江戸の豪商である旧今井家に案内された。この今井家は,「うだつ」の上がる黒い瓦葺き屋根に格子戸の木造家屋が連なる町並みの中に建っていた。しかし,この町並みは「うだつ」さえなければ私の郷里,小京都といわれ天領であった九州の日田の商家とほとんどその雰囲気は同じてあった。日田も筑後の木臘を商って財をなした商家,また天領という地の利を利用し巨大な富を築き上げたいわゆる掛屋などが集まって古い町並みが形成されている。
さて,この「うだつ」が,日常会話でよく使われる「うだつ」の語源であると知り,急に興味をもった。「うだつ」は図1,図2のように建物の屋根の両側に設けられた瓦葺きの小屋根付きの袖壁であり,初めは美濃は火災が多かったので防火の意味もあったらしいが,徳川時代からは身分の象徴となり,美濃の商家も取引で成功し,経済が豊かになった家が「うだつ」を作ったという。すなわち,「うだつ」が上がったわけである。「うだつ」を上げるため,懸命に努力し美濃紙を作ったであろう,また取引したであろう美濃商人のことを想像すると,人間は本質的には江戸時代も現代も同じであると思い微笑ましくなった。この「うだつ」は,現在は美濃市,関市を中心にした地方に現存しているだけであるが,かつては全国的であったらしい。このことは「うだつ」という言葉が全国的に使われていることでも分かる。ちなみに「うだつ」の語源が美濃市の「うだつ」であることを知っているかどうか,数人のMr.に尋ねてみたが,いつれもNo.であった。これで一般人もほとんど何も知らないで使っているということが想像できる。
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