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『人類は,これまで,疾病,とりわけ感染症により,多大の苦難を経験してきた。ペスト,痘そう,コレラなどの感染症の流行は,時には文明を存亡の危機に追いやり,感染症を根絶することは,正に人類の悲願といえるものである。医学医療の進歩や衛生水準の著しい向上により,多くの感染症が克服されてきたが,新たな感染症の出現や既知の感染症の再興により,また,国際交流の進展などに伴い,感染症は,新たな形で,今なお人類に脅威を与えている。―中略―このような感染症をめぐる状況の変化や感染症の患者などが置かれてきた状況を踏まえ,感染症の患者などの人権を尊重しつつ,これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し,感染症に迅速かつ的確に対応することが求められている』。後述する新感染症法の序文にある新感染症法制定の目的である。まさに人類は感染症とともにその歴史を刻んできたといっても過言ではない。感染症は人類にとって常に大きな災禍であったが,一方で文化,芸術,哲学を育み,科学と医学の発展を鼓舞してきた。『黒死病』とも呼ばれたペストは14世紀にヨーロッパの人口の1/3を奪ったといわれているが,その恐怖はミヒャエル・ヴォルゲムートの『死の舞踏』やピーテル・ブリューゲルの『死の勝利』にも描かれている(図1,2)。
その後もペストは何度か世界的に流行しており,17世紀にロンドンを中心に流行したペストをダニエル・デフォーは『疫病の年(A Journal of the Plague Year)』に克明に描いている。ペストは19世紀に中国でも猛威をふるったが,日本では鎖国が幸いして大きな被害はなかった。日本での最初の流行は1899年であるが,もともとネズミからのペスト感染を仲介するケオプスネズミノミが日本には生息していなかったため,大流行とまでは至らず,1926年以降は発生していない。18~19世紀になって世界的に流行したのがコレラである(図3)。コレラの世界的流行(パンデミック)は1817年にカルカッタから始まり,アフリカや日本を含めたアジアに広がった初めてのパンデミック以来これまでに7回あるが,2006年に発生したパンデミックはジンバブエを中心に現在も続いている。日本では1822年に初めての流行があった。当時,コレラは『虎烈刺』,『虎列拉』,『虎列刺』などと記載されたが,虎のように恐ろしい猛烈な感染症と恐れられた様子がわかる。感染者がコロリ,コロリと死ぬため『コロリ』(虎狼痢),発症して3日で死亡する進行の早さや激しい症状から,『鉄砲』,『見急』,『三日コレラ』などとも呼ばれた(図4)。3回目のパンデミックも1858年(安政5年)に日本にまで蔓延し,『安政のコレラ』と呼ばれたが,日本全国で20万人以上が死亡し,第13代将軍の徳川家定もその犠牲になったといわれている。第2次世界大戦後は防疫体制の強化によって日本での流行はみられなくなっている。
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