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I.はじめに
副鼻腔炎が人々の意識にのぼるようになったのはいつの頃であろうか。古代,悪臭を発する息・呼気はなんでもオツェーナといわれていた。その後,Celsus,Galenの時代(紀元1,2世紀頃)になって,このオツェーナは主に腫瘍や潰瘍に由来する鼻からの悪臭に限局されたようである。当時も副鼻腔炎はあったはずではあるが,副鼻腔自体認識されていない状況ではおそらく意識外であったであろう。
史上,副鼻腔が現代と同じように認識されるのは,上顎洞の発見者,N. Highmoreが1651年に刊行した“Corporis Humani Disquisitio Anatomica”に初めて上顎洞を記載したことに始まる。その図には,前頭洞や篩骨洞も明瞭に示されている。したがって,副鼻腔炎は17世紀以降の概念ということになる。
彼はまた,歯性上顎洞炎と考えられる疾患に罹患した婦人の例も紹介している。長年,膿汁排出があり,ほとんどすべての歯が脆くなって抜歯したにもかかわらず痛みが消えず,犬歯の抜歯によりやっとそれが消失したものである。ところが,そこから大量の膿汁排出がはじまり,その原因を突き止めるために鉄筆を挿入すると2インチも入り,脳に達するのではないかと大変心配だったと述べている1)。
ドイツのルードウィッヒ王(XIV世)は,1685年,咀嚼時痛のために左上顎の全抜歯術を受けた後,瘻孔形成のための飲水やうがいのたびに,鼻から噴水のごとく液が噴出したそうである。1707年,J. Drakeは,オツェーナの悪臭の原因は上顎洞の化膿症によるもので,抜歯後,歯根を介して上顎洞を開放するとそれが解消すると発表した。1743年,L. Lamorierは,上顎洞化膿症で抜歯後に瘻孔が生じないような症例には,口腔前庭経由での上顎洞開放を推奨している。論文としてはあまり多く渉猟できないが,このようなエピソードは沢山あったのであろう。17世紀以降,原因のいかんにかかわらず,抜歯や抜歯後の瘻孔形成の治療に関する上顎洞へのアプローチがさかんになり,これが上顎洞,ひいては副鼻腔に対する関心を高めた一因と思われる。
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