連載 あのころ あのとき・13
網膜の微細形態を求めて—九大より東大へ
山田 英智
1
1東京大学(解剖学)
pp.22-23
発行日 2002年1月15日
Published Date 2002/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410907586
- 有料閲覧
- 文献概要
1960年に久留米大学から九州大学の解剖学教室に転任した。所属の講座の前任者は人類学の専攻であったから,およそ正反対の研究分野の私にとって必要な研究設備は皆無で,古代人骨のコレクションで占められた研究室に赴任することになった。幸いロックフェラー財団から援助が受けられることになり,新しい研究室造りから始めた。
私が使用できるスペースは,昭和3年に増築された木造平屋建の53坪で,これを電顕室,写真室,切片室,動物実験室,包埋室および居室のための部屋に改造した。また大型の空調機を設置して,全室を一括して冷暖房可能にした。既存の窓にはビニールシーツを張って防塵し,電顕台は大きなコンクリートブロックを地面から立ち上げて建物から分離し,振動が伝わらないようにした。こうして狭いが使いやすい研究室が完成した。
Copyright © 2002, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.