文庫の窓から
眼科要論
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斎藤 仁男
1
1研医会
pp.1292-1293
発行日 1988年11月15日
Published Date 1988/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410210554
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大阪の大福寺(天王寺区上本町)に浪速仮病院が創立され,患者を治療し,正式な医学伝習が始められたのは明治2年(1869)4月のことといわれる.この医学伝習所の教師の筆頭はオランダ陸軍一等軍医のボードイン(Anthonius Franciscus Bauduin, 1822〜1885)であったが,エルメレンス(Christian Jacob Ermer-ins, 1841〜1879)に交代し,次いでマンスヘルト(C.G.van Mansvelt, 1832〜1912?)に代ったのは明治10年(1877)8月のことであったと伝えられる.
マンスヘルトは1832年2月28日,アントワープで生れ,医学を学びオランダ国の海軍軍医となる.その後,慶応2年(1866)より長崎精得館,熊本医学校(熊本藩治療所兼医学校)に,京都の療病院,そして明治10年8月より大阪病院に蘭医として教師に雇われた.
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