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眼目精要,眼科医療手引草と医療羅合(1)
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斎藤 仁男
1
1研医会
pp.500-501
発行日 1981年3月15日
Published Date 1981/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410208306
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杏林庵医生(日本人?)によって編述された眼科専門書,「眼目明鑑」(眼目明鑑,4巻,眼目明鑑薬名修治能毒,巻上,下)が刊行されたのは元禄2年(1689)孟春,(四条坊門通東洞院東江入町,水田甚左衛門開板)であり,これが日本で最初に刊行された眼科書であるということは周知の通りである。「眼目明鑑」はその後,富士山が噴火した年,宝永4年(1707),江戸日本橋南1町目,出雲寺和泉掾出店より「改正眼目明鑑」として開板された。
この宝永4年版「改正眼目明鑑」がでてから約19年後の享保11年(1726)10月,藤井㠯求子見隆纂,長岡恭斎丹堂校正に係る「眼目精要」が,四条通寺町西江入町,めと木屋勘兵衛により刊行された。
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