文庫の窓から
眼科実地此事須知篇と視力乏弱病論
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斎藤 仁男
1
1研医会
pp.1176-1177
発行日 1986年10月15日
Published Date 1986/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410209881
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文化12年(1815)に杉田立卿(名豫,通称立卿,号錦腸,天真楼,1786-1845)訳述の「和蘭眼科新書」(全5巻,附録,1巻)がわが国の翻訳眼科刊行書の第1号として出版され,西洋眼科学との接触が本格化したが,文政6年(1823),シーボルト(Philipp Franzvon Siebold,1796-1866)の来日によって,その実地医療が着実に推進され,ようやく日本の眼科も名実ともに近代眼科への道を踏み出した.こうした時代,医家として,また医育者としての高良斎(名淡,字子清,号良斎,1799-1846)や緒方洪庵(名章,字公裁,号適々斎,華陰,1810-1863)らが相次いで出て,その語学力と医学知識を基に洋方眼科の他,医学全般にわたり数多くの翻訳,著述を行って,日本の近代医学,眼科学の発展に計り知れぬほどの影響力をもたらしたことはよく知られた通りである.
掲出の写本,「眼科実地此事須知篇」は高良斎が,「視力乏弱病論」は緒方洪庵がそれぞれ蘭訳本より重訳し,19世紀初めのヨーロッパの眼科学をわが国に伝えた眼科書といわれているものである.以下この両書について考察する.
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