文庫の窓から
眼目明鑑
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斉藤 仁男
1
1研医会
pp.546-547
発行日 1987年5月15日
Published Date 1987/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410210039
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『世患眼者多而醫眼者寡醫眼者不寡学眼者寡学眼者不寡学眼書寡矣,余此不能無歎也』と.これは本書の叙文の一節であるが,識者杏林菴は真に眼の治療を行う良医を得るために,良書を欲して偏集したものと思われる.
「眼目明鑑」は元禄2年(1689),杏林菴医生謹識とある叙を載せ,四條坊門通東洞院東江入町,水田甚左衛門より開板され,次いで18年後の宝永4年(1707)に改正眼目明鑑となって,出雲寺和泉掾,江戸日本橋南一町目出店より再板された.この再板は外題箋が"改正"となっているが内容は全く元禄板と同じである.つまり元禄2年板は京都から出され,宝永板は江戸から出版されたことになる.
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