文庫の窓から
眼目明辨
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斉藤 仁男
1
1研医会
pp.674-675
発行日 1987年6月15日
Published Date 1987/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410210074
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宝永4年(1707)に元禄2年板「眼目明鑑」の改正板が刊行され,その19年後,享保11年(1726)に藤井見隆纂,長岡恭斎丹堂校正による「眼目精要」が出版されたが,日本人自身による眼科専門書の刊行は約1世紀の間休息状態であったようである.その後文化8年(1811)に至り衣関順菴父子による「眼目明辨」の初編が上梓された.もっともこの約1世紀の間には安永3年(1774)杉田玄白等の「解体新書」の飜訳,寛政10年(1798)宇田川榛斎の「泰西眼科全書」の飜訳などオランダ医学の目覚しい進行がみられ,また,馬島,三井,柚木流等々眼科諸流派の興隆も著しく,その家伝書,秘伝書などの類も数多く著わされた.
かように漢方眼科を基範とした眼科諸流派の秘伝書などが大半を占める中に,解剖学を基盤にしたオランダ眼科が次第に採り入れられつつあった時代に刊行されたのが「眼目明辨」初編である.
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