発行日 1953年6月15日
Published Date 1953/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661907320
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國をあげての大事業であつた奈良の東大寺の本尊,ルシャナ佛(奈良の大佛)が出來上り都は青瓦赤瓦白壁の美しい家々が立ち並んで,極樂がこの世にあらわれたのであろうかと人々はこの2年ほどの間,太平の世をたゝえホトケの徳をほめそやし,朝鮮や滿洲からはるばる來る外國の使臣たちに誇りをもつて接していた。もはや我が國も文化の本場である唐の水準まで追ついたし,藥品や書物のほかはたいてい國産ですぐれたものが出來るようになつていた。
たゞ一つ,どうしてもわが國になくてはならぬもので,しかもどうすることも出來ない問題がこの頃の文化人,政治家の悩みのタネであつた。それは當時の文化や人間のレベルを示す僧たちの資格認定をするための試驗官がいないことであつた。いくら佛教が榮えていた日本も,この宗教上の資格認定試驗は定められた法以外に簡便には出來ない。そこでもうしばらく以前から唐へ外交官が行くたびに適任者の來朝を交渉していた。その人が來るのを當時のインテリは,一日千秋の思いで待ち焦れていたのである。
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