特集 トラコーマ
綜説
トラコーマの問題点と症候名説の提唱
鈴木 宜民
1
1千葉大学眼科
pp.1702-1707
発行日 1957年12月20日
Published Date 1957/12/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410206221
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I.緒言
周知の如く医学が余りにも専門化し過ぎると,他の分野に就ては顧みる暇も無くなると云うのが実情でである。従つて自らの専門以外の知識は全く無いと云う場合も生じて来る。この意味からある時には自らの出発点に帰り,その方法,考え方,又当時の思想なり,或はその成績とか更に歩んで来た跡を回顧し,再主吟味してみる事は極めて重要な意義が有ろうと思うもので,それによつて吾々は時に誤つた方向に進みながらも,自らははつきり気付かずにおるような事に重要な示唆とか反省を得る場合が有るもので,この点は吾々医学に志す者が特に心し又注意すべき点ではないかと思う。
私は本邦に於ける最近のト研究の実態を眺める時,特にこの様な印象を深くするものである。勿論それは私の学説が正しくて,他の人の学説とか研究が誤つておる等と云うものでは毛頭ない。各人の説く処或はその成績に甚だしい違いが有り過ぎると思うのである。即ち今日各自の研究が非常に専門化した結果,トを余りにも自分の立場とか学説に都合の良いように,解釈し,定義して研究を進めておる如き傾向が強く見られるのであつて古い諺であるが,群盲の象を撫するに似て,それでは到底トの真の姿等は掴み得ないと思うものである。この事は昨年のトに関する本誌の特集号による,現在ト研究の第一線に立つておる諸家の論説を一読してみても,容易にかつ何人も気付く処である。
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