談話室
日本近代眼科開講百年史—幕末における日本眼科事情その2
中泉 行正
1
1研医会
pp.1438-1447
発行日 1972年12月15日
Published Date 1972/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410204875
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近代日本眼科学の開講
このようにして幕末における医育は,西は長崎,東は江戸を中心に始まつていたものの,それは,幕府の組織的,計画的施策によるものではなく,過渡期における外来文化に対する一種の憧れと興味による未知の世界への模索にも等しかつた。
幕末の時勢は刻々と変わり,世情はますます険悪騒然となり,慶応4年(1868)8月,ついに徳川は大政を奉還して明治の改元となつた。明治元年(1868)新政府ができ,はじめ蘭方医学が長崎の精得館などにおいて外人教師により行なわれていたが,新政府が樹立された後は,わが国の医学教育は政府の力により進められるようになり,明治元年(1868)王政維新のさい一時廃校された旧医学所が復興され,これが整備統合されて,近代医学の教場のもととなつた。しかし本格的医学教育の機関としては,教場のみでは十分でなく,明治2年2月医学所を,当時,下谷旧藤堂邸に移した横浜の仮軍陣病院を大病院として,これを合併し,医学校兼病院と改め,明治2年(1869)12月,大学東校とさらに改められた。
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