談話室
日本近代眼科開講百年史—幕末における日本眼科事情その1
中泉 行正
1
1研医会
pp.1345-1353
発行日 1972年11月15日
Published Date 1972/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410204865
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緒言
近代日本医学のあけぼの,それはすでに江戸時代中期に始まる。
安永3年(1774)杉田玄白らによるはじめての本格的翻訳医学書「解体新書」の公刊は,わが国にいやが上にも蘭学熱を盛んにし,ついに西洋医学への道を切り開いた。眼科においてもこの蘭学熱の影響により杉田立卿が「和蘭眼科新書」を訳述し,これによつて日本近代の眼科もその基礎が固められ,その知識はさらにシーボルトの来日によつて実地に教えられ,ここに西洋眼科が名実ともに紹介されたのである。そしてこの西洋眼科がより多く,より正確に修得されるようになるのは幕末から明治期にかけてであつて,多くの欧米人をわが国に招き直接の指導を受けたのである。またその指導が組織的に行なわれるようになつたのは,明治新政府が樹立され,わが国の医学体系を独逸医学に範をとつて教師を独逸から正式に招いて開講された明治4年(1871)以降であり,そして西洋眼科が日本人自身の力により,わが国の医学教育の中に独立した一分科として採り入れられて行なわれるようになつたのは明治10年以後のことである。
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