教材
日本近代女性史—第2回 明治維新と女性
福地 重孝
1
1和洋女子大学
pp.405-408
発行日 1961年8月1日
Published Date 1961/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663908756
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運命のままに
女性のおかれた地位が,もっぱら家内的にとどまったということは,ある意味ではそのような事情がかえって時の政略に利用され,政治を決定する陰の力ともなった。結婚が和親,人質,間者(スパイ)などの有力な手段に利用されたことである。徳川家康が孫娘千姫(7歳)を秀吉の一子秀頼(11歳)に嫁したことなどは,政略結婚の最もひどい例である。幕末にも幕府の延命策として,朝廷と幕府の和親の「かすがい」として政略結婚が行なわれた。
孝明天皇の皇女,静閑院宮和子内親王(1846〜77)は,すでに有栖川宮熾仁親王という婚約者があったにもかかわらず,婚約を破談して,14代将軍家茂に降嫁された。かよわい15歳の御身をもって,はるばる関東へくだる宮の心境は,生死を越える苦悩であったに違いない。宮は同年齢の夫家茂との結婚生活は僅かに5年,妙齢20歳で寡婦となられた。「三瀬川世にしらがみのなかりせば,君諸共に渡らしましものを」と詠ずるなかに,その心境の一端がうかがわれよう。
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