Ⅱ臨牀實驗
球後視神經炎の病因に就て
桑島 治三郞
1
1東北大學眼科
pp.64-69
発行日 1949年2月15日
Published Date 1949/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410200321
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球後視神經炎と言ふ疾患名はRönneつ見解に依れば,臨牀所見上の概念に基づく呼稱であつて病理又は病因による單獨疾患を意味するものではない。從つて本症の病因は一般的に言ふならば不定てあると言ふべきで,個々の本症例に就て其の病因として擧げられるものが夫々多種多樣であつても固より異とするに足りない。然し實際には歐米に於て本症の病因として多發性硬化症が最も多く擧げられてゐるに反し,獨り我が國に於てのみ多發性硬化症は絶無に近く,本邦に於ける各種の球後視神経炎は,其の原因論に就て多くの論議を殘して來た。此の點に就て彼地の多發性硬化症の診斷と我國に於ける本症の存否に就て再檢討すべきであると伊東教授も述べられたことがあるが,反對に英國でAdieは彼地に於ては多發性硬化症と言ふ診斷が餘りに屡々下され過ぎる傾向があることを指摘してゐる。之は注意すべき對照である。
球後視神經炎と多發性硬化症との關係に就て歐米の文献を少しく調査すれば,必ずしもCharcotの三主要症状に捉はれることなく寧ろ球後視神經炎乃至乳頭の耳側褪色を以てそれ自身が多發性硬化症の重要なる臨牀所見であると見做してゐる場合がある。固より此の見解は,その他の所見に基づき將來Charcotの主要症状歌等が漸次揃ふことを豫期してゐるのであるが,それにしても確かに我が國に於て多發性硬化症を考へる場合よりは遙かに大膽に本症を診斷してゐるやうに思はれる。
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