〔Ⅸ〕温故知新
晩年の小口先生
中島 實
pp.61-62
発行日 1947年4月20日
Published Date 1947/4/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410200184
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昭和20年7月23日13時銀海の巨匠小口忠太先生は奧三河の御疎開先で靜かにその輝かしい生涯を終へられた。その頃はB29の他に小型機の來襲が頻々として交通連絡も充分に行はれなかつたので,御臨終には唯治子夫人と2,3の近い人々のみで,血縁の人は遂に間に合はなかつた。25日には御終焉の地愛知縣西加茂郡石野村西中金の梅村鍬三郞氏宅で密葬が行はれたが,當日も早朝から空襲警報が發せられ,殆ど終日解除せられなかつた爲,教室から行つた數名と自轉車で駆けつけた馬島鏡三,萩野鉚太郞,水谷豐君等の他は,附近の人々のみで淋しく靜かなお葬式であり,午後3時過西中金を取卷く山々の一つの山腹の空地に薪を積んで茶毘に附したのであるが,その煙が山を傳つて流れるのを麓から仰ぎ見た時,何とはなしに人生の無情が感じられて,自然に眼が潤んで來だのであつた。
小口先生が南滿醫學堂,名古屋帝大又は軍醫學校等に御在職中の色々の御事績は周知の事であるから,今更之を繰返す必要はあるまい。
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