鏡下咡語
Prof. Ino. Kubo晩年の門下の回想
河田 政一
1
1九州大学
pp.936-937
発行日 1988年10月20日
Published Date 1988/10/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1411200245
- 有料閲覧
- 文献概要
久保猪之吉先生の人となり,偉大な学界における功績等については既にあらゆる面から語りつくされ,書きつくされた感がある。然し久保先生の最も円熟しまさに完成に近い人間像に接し,専門医学を志した若者が受けとめ吸収した事象を,半世紀余の歳月という節にかけたとは言い乍ら,様々の資料を反映させつつ今日辿ってみるのもそれなりに意義があるかも知れない。
Ino. Kuboは1874年12月26日福島県二本松で士族の家に生まれた。会津戦争の白虎隊縁の地である。東京帝大医学部卒業後1901年耳鼻咽喉科学教室で初代の岡田和一郎教授から臨床の指導を受けた青年久保猪之吉は,1903年に九州帝大助教授(当時は福岡医科大学)として渡欧,Freiburg i. Br. 大学のProf. Gustav Killianの助手となり1906年に及び,1907年帰朝して教授に任ぜられた(明治40年2月19日)。
Copyright © 1988, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.