先進医療—日常診療へのアドバイス 特集
生殖医学の進歩
卵管マイクロサージェリー応用の限界と将来
野口 昌良
1
Masayoshi Noguchi
1
1愛知医科大学産婦人科教室
pp.215-218
発行日 1986年3月10日
Published Date 1986/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409207351
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K.Swolin1)が卵管閉塞症の手術療法を行う際に,世界に先がけて拡大鏡を用いたのが1966年と伝えられている。その後,彼のこの報告を聞き,V. Gomel2),K.Winston3)らが彼から手ほどきを受け,そして1974年には多数例での成績を,この両者は国際不妊学会で発表した。
このころから本邦においても,少しずつ卵管のマイクロサージェリーへの関心が集まりはじめ,1981年には東海大学藤井教授により世界の大家7名を一同に集めての国際ワークショップが開催されるに至った。しかしながら英国4)では,1978年体外受精による出生が成功し,1983年には,東北大5)においても体外受精児第一号が誕生した。ここで注目すべきことは,K. Swolinから10年余の歳月による卵管マイクロサージェリーの積み重ねののちの,IVF-ETに至った欧米と,マイクロサージェリーもIVF-ETも殆んど時を同じくして導入されたというわが国の事情が,少なからずマイクロサージェリーとIVFの卵管不妊症治療上の位置付けに不明確さを生んだといっても過言ではない。とはいえ,東海大,東北大などでは優れたマイクロサージェリストがあり,手術療法後の不妊患者と手術療法の適応のない患者に限ってIVF-ETが行われていると聞く。これが本来あるべき姿と思われるが,必ずしもこの両方法を多くの同一機関が行い得るところまでは現在至っていない。
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