綜説
婦人科的手術,殊に開腹術に就て
町野 碩夫
1
1鹿児島醫大
pp.235-239
発行日 1952年6月10日
Published Date 1952/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409200626
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はしがき
われら臨床醫,就中刀を執る者にとつて最も大切なことは,夙に紀元前5世紀に於て醫聖Hypo-cratesが喝破しておるように,該博な自然観察と邪道に陥ることのない崇高な道徳感を所有することである。このような理念を堅持している人々に依つてこそ,甫めて割切な診斷や正浩な豫後判定が下し得られるものであり,而も單な1個の技術家として無暗矢鱈な手術を敢行しようとせず,眞にメスを執らなければならない患者のみに就て手術すべきである。それも甚だ自然的で妥當と想われ,且つ合理的と見做される術式方途を案出選定して後にこそ豫期の目的を達成し得られるものと確信するのである。尚おそれには元々人體が物心2元から成り立つているから,獨り物的の肉體治療のみで滿足すべきものでなく,之と平行して精神的療法の必要なことは勿論である。以下婦人科的手術,殊に開腹術に就て斯かる見地から主として實地醫家の爲めに比較的詳細に記述して見よう。先ず,
(a)前處置として型の如く患者の嚴密な豫診後,怠りがちな一般的(特に體質に留意)並に局所的精密檢査を遂げたら,精神的及び肉體的休養を與え,水糖分を充分に供給し,尚お必要に應じて輸血し其他の榮養補血剤,特に癌患者に強心剤(ヂキタリス末)を少くとも數日間投與し次で下剤,浣腸して手術を待たしむ。斯くして余は血色素最低17%の強貧血,76歳の老衰患者の子宮全剔にも成功しておる。
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