感想及び随筆
横濱短信
尾島 信夫
1,2
1慶大醫學部
2警友病院産婦人科
pp.82-84
発行日 1946年7月20日
Published Date 1946/7/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409200082
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横濱から,昔なら京濱國道を樂しくドライブさせたほどの御鳥目を拂つて,滿員の省線電車に乘せて貰つて東京の街に着くと,殆ど日本人ばかりなのでホツト日本に歸つたやうな氣安さを覺える。それほど横濱は變りました。昨年5月29日の午前中,600機の大群はこさつぱりして奇麗だつた横濱の中心街を,周邊の住宅,工場地區とともに一瞬にして灰燼と化しました。それまで殆ど被害の無かつた横濱でしたが。幸にして櫻木町驛から生絲檢査所,縣廳,ニユーグランドホテル等のある山下町に至る一帶の東京の丸ノ内に相當する部の大きいビルヂングは相當數殘つたので,現在占領軍の宿舎や事務所に利用されてゐます。山下町にある小生の勤務病院へお訪ね下さる方は,櫻木町驛を出たら眞直に歩道を歩いて,十字路を越える時は交通整理のMP氏の微妙に動く手先に充分注意して,正しい時に泰然と立竝ぶ自動車の前を横切ることにして下さい。よくもこんなに集めたと感心する位Jeep,Truck,Amulance等々の連續するあいまに,稀にヨタヨタと醉漢の如く走つて來るのは縣廰かなんかの貨物自動車です。
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