感想及び随筆
ヤルート島記
鈴木 忠藏
1
1慶應義塾大學醫學部産婦人科教室
pp.84-85
発行日 1946年7月20日
Published Date 1946/7/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409200083
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ヤルート島は,日本委任統治であつた,内南洋のマーシヤル群島最東南の一環礁の名である。私はそのヤルートでこの戰爭の2年半を過したので拙い人生經驗のエピソードを記録したいと思ふ。
ヤルートがアメリカの本格的攻撃を受け始めたのは昭和18年の11月16日からである。それまでは,椰子の葉が微風にサワサワ鳴り,その合間には土人のあの通有の低い哀謂を帶びた歇聲のほのかに聞かれる,至極のんびりした島であつた。氣候は一年中夏であるが,サーツとスコールが來た後はさつぱりした氣分で,まるで避暑地のやうなところです。マラリヤはなかつた。青い空半,碧い水,カヌーを浮べ帆を立てて内海を走つたり珊瑚の水底に泳いだり,また喉が乾くと椰子の實が待つてゐる。半年は夢の間に過ぎた。そして18年の11月になつた。するとアメリカはギルバート諸島に攻撃を加へると同時に,ヤルートを爆撃し始めた。ギルバートのマキン,タラワは約1週間で陷ちた。次はお隣りの私達の島だと覺悟したのであつた。
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