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「天災は忘れた頃にやってくる」という誰もが知っている有名な警句がありますが,今年早春の震災と津波や早秋の豪雨災害はまさにこのような状況でした.正確ではないのですが,寺田寅彦は大正の関東大震災の後,「この程度の局地的な震災はわが国ではたびたび起こってきたものであり,もっと大きな震災や津波が,過去の記録では何度も見られている」と述べ,起こりえる災害への政府の無策を批判したと記憶しています.しかしこの箴言にもかかわらず,国家予算の過半数が軍備に費やされていた当時の状況は大きく変わることなく,防災意識は薄れていきました.そして地域により被災規模はさまざまであるものの,昭和以後も地震や津波の被害は繰り返されながら平成の現在に至っています.いつかは必ず起きることが分かっていても,自分の身には,あるいは自分が生きている間は大丈夫だろうという楽観もしくは諦観は,人の本性ともいえるもので,自然災害(natural calamityあるいはnatural disaster)を一語で天災と呼ぶ日本人の意識とも通じるものでしょう.
他方,付随して起こった原子力発電所事故は明らかに人災です.関係者すべてが,本質的にはコントロールに細心の注意を要するパワーソースである原子力を利用しているとの意識に乏しかったことは否めず,その代償はあまりに大きいといえます.まだ原子力発電が商業化される前の昭和40年台初めに,教養課程実習として京都大学の実験用原子炉(熊取)の内部を見学したことがありました.規模は現在の原発1基の数百分に1に過ぎない小さなものでしたが,それでも原理の単純さと比べると,いかに周辺設備を精緻に構成して管理する必要性があるかという事実に驚かされました.今回の事故以外での情報からも,原子力の平和利用については,商業主義がその安全性担保を若干軽視しながら進められてきたことが明らかになってきた一方,脱原発が可能かどうかという情報も不確実です.明年以降,正確な情報開示によって議論がどのように進められるのかを注視したいと思っています.
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