視座
医師としての自覚と責任感
山崎 安朗
1
1金沢医科大学・整形外科
pp.111
発行日 1985年2月25日
Published Date 1985/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408907116
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私が大学を卒業した頃は,やっと食料品が出廻り,空腹を癒やすには充分とはいえないまでも,まあまあの時代であった.しかし経済的には未だ高度成長前の事であり,かなり苦しかった.当時諸先輩の給料が一万円にも満たない頃であった.その後経済が少しずつ好転し,私が昭和33年4月に初めて助手としてもらった給与が13,800円であったと記憶している.その頃結婚したばかりで,家賃を支払った残りで生活して行くには尚かなり苦しかった.従って当時の助手或いは無給副手は,早くArbeitを仕上げてTitelを貰い,地方病院への出張乃至就職を夢みていたものが多かった.というのは地方病院へ行けば臨床症例が多く,その上生活面からみれば住宅が支給され,更に給与は大学のほぼ4〜5倍近く貰えたのだから,我々にとっては甚だ魅力あるSitzeであった.従って当時は早くArbeitを完成させ,地方病院のSitzeに就く為に,臨床,研究に昼夜を問わず強勉したものである.1週間に2〜3回の徹夜は日常茶飯事の事で極く平気であった.当時は教室員一同お互いに助け合い,励まし合って良く頑張ったものである.
ところが最近の教室員は,助手にしても研修医にしても,贅沢に育ちその上経済的にかなり恵まれているせいか,我々の頃の頑張りというものに随分欠けている様な気がする.臨床に関しては一生懸命にやるのだが,大学の使命である研究に関してはふんばりが足りない.
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