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はじめに
昭和39年(1964年)発行の改訂版「神中整形外科学」には,すでに手の外科に関しては河野左宙先生が担当されて79頁が割かれていることからも理解できるように,整形外科や外科の分野で手外科治療は当然行われていたのであるが,組織的な分野としての手外科学は「日本手の外科学会」の誕生を待たねばならなかった.
さて,この日本における「手の外科学会」の発足は,奇しくも中国の国政と関連している.すなわち,1949年に中国共産党が政権を握った結果,すでに予算が組まれていたアメリカの中国医療基金(China Medical Board:CMB)が日本に回されることとなった.その結果,当時このCMBの理事であった外科医Dr. Johnstonが1955年に日本を訪問し,翌1956年,彼の弟子である手外科医Dr. Harry Millerが日本に派遣された.彼は同じく手外科医であるDr. Michael Masonの「腱の手術」の映画を持参し,日本各地で講演すると同時にこの映画を供覧したことが契機となり,翌1957年,九州大学の天児民和教授が「日本手の外科学会」(以下,「日手会」と略す)を創立された.
Dr. Johnstonが九州大学整形外科を訪問した理由は,同じ分野の研究者であった第1外科の三宅博教授がおられたからとのことであり,この時,九州大学整形外科の病棟をDr. Johnstonが回診された,と天児民和先生が後に書かれている.
Dr. Jonhnstonの訪日から4年後に,九州大学の高岸直人先生(図1)が,ついで岡山大学の津下健哉先生(図2)がDr. Johnstonの弟子であるデトロイトのDr. Joseph Poschの元に留学された.
また,この系列とは全く別に,新潟大学の田島達也先生(図3)は1952年から2年間,米国Albany医科大学に留学され,Dr. William LittlerやDr. Sterling Bunnellから手の外科を学ばれて帰国され,わが国のこの分野のパイオニアの1人として手の外科の概念や手技についての普及に貢献された.
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