鏡下咡語
歴史の中の歴史
大藤 敏三
1
1日本医科大学
pp.62-63
発行日 1980年1月20日
Published Date 1980/1/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492209030
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司馬遼太郎であつたか,人の歴史を書く場合は,百年後でないと生々しくて清々しい面にふれられないと言う。贅肉の除れた枯骨の姿に接するには百年後でなければいかぬと言うことである。確かに真理には違いない。が事と次第によつては除外例もあろう。
本日ここに書く人物は私にとつては恩師に当る久保猪之吉先生のことである。亡くなられてもう40年は過ぎた。それなのに今でも私は夢に見る。それもよりによつて助手時代出勤が先生より遅くて大変不気嫌な時のみのことで理由はそれなりにある。たとえば助手の仕事の量が多くてとても日中の処理では間に合わず,それに自分の研究の時間をいれたらとてもではないが家に帰るのは往々深夜となる。どうしても朝が遅れる。先生の勤勉な時間表には遅刻はない。それが原則だから理由はない。先生の私に対する不気嫌はまずここから出発した。今でもそれを夢に見て万事休するのである。整頓好きで勤勉な先生と不整頓な獺祭(だつさい)屋の私とが屡々正面衝突しかねない破目になる。これが夢の内容であるから少しも楽しくない。この威圧感がしみじみと脳裏に焼きついているのだろう。それに先生の頭脳が明晰で剃刀の様に冴え几帳面とあつてはまつたく凡そ嘘や言い分けは通じない。先生と稲田龍吉先生とは終生の友人であつたが稲田さんの述懐の言葉にも「久保君の頭脳には整頓された沢山の小箱が並んでいてそれに詳細な番号があり一目瞭然の図書館を形成していた」とある。大変な物識りもここら辺にその秘密がある。
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