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腰椎椎間板ヘルニア治療の歴史は,1857年にVirchowより病理学的報告が出されたのが始まりである.その後,1911年にGoldthwaitが臨床例を報告し,本邦では1932年に東の報告『椎間軟骨結節による脊髄圧迫症並びにその一手術例』が最初とされている.当時はヘルニアという名称は用いられておらず,軟骨腫ないし軟骨結節という概念で考えられていた.現在一般化している椎間板ヘルニアという名称は,1947年に横山により導入された.このヘルニアの臨床的意義が明らかになり,世界的にも注目され始めたのは1934年のMixter & Barrの論文によるところが大きい.当然,当初は椎弓切除術により大きく展開し,経硬膜的にヘルニア腫瘤が摘出されていた.これに対して,椎弓切除を行わずにヘルニアを摘出する方法を1939年にLoveが報告した.このLove法が,それ以後全世界で最も一般的に行われる術式として現在まで受け継がれている.その後,多くのヘルニア手術法が開発されてきたが,現在でもLove法はヘルニア手術の中心的存在であり,既に1施設で1,000例を優に越える手術例が報告されている.長期的には当該椎間板の変性進行や再発により2~10%程度が再手術を要しているが,有効率も80%強とほぼ安定した成績が得られている.このLove法に対して,より侵襲が小さく,明るく拡大した手術野で愛護的な手術操作が行え,早期の社会復帰を目的に顕微鏡を用いたヘルニア摘出術が導入された.その一方,最近では内視鏡を用いたヘルニア摘出術が急速な勢いで普及し始めている.顕微鏡下手術と同様に,手術侵襲は小さく,手術翌日には歩行も可能であり,早期退院・早期社会復帰を可能にしている.
さて,前述した手術法に対して,穿刺法により椎間板内に酵素を注入して内圧を減じ,刺激状態にある神経根を除圧する方法が1964年にSmithにより報告された.この椎間板内酵素注入療法の中で,世界的に行われてきたのがキモパパインを用いた方法であった.一時期,欧州とカナダで盛んに行われ,米国のFDAを通過したのは1983年であった.本邦では1984年にIDT研究会が設置され臨床試験が特定施設で実施されてきたが,周知のとおり,重篤な合併症の発生や商業ベースに乗りにくいことなどから国および企業とも撤退し現在に至っている.この椎間板内への薬物注入療法は,キモパパイン登場以前の1954年,Fefferによってステロイドを使用した臨床試験が既に行われ,その有効率は60%強と報告されている.これらの薬物以外にも,今回執筆をお願いしたコンドロイチナーゼABCなど多数試みられてきた.また,保険診療の適応は受けていないが,レーザーを用いた髄核蒸散による椎間板減圧術も現在多方面から注視されている方法のため,本誌上シンポジウムに取り上げてみた.
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