表紙の心・11
リスフランの墓
大村 敏郎
1,2
1川崎市立井田病院外科
2慶応義塾大学医史学
pp.1811
発行日 1988年11月20日
Published Date 1988/11/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407210226
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前回のギヨーム・デュプユィトラン(Guil-laume Dupuytren, 1777-1835)のいたオテル・ディユ病院はセーヌ川の川中島シテ島にあったが,川を挟んだ左岸の少し上流にあるピティエ(Pitié)病院には外科医としてジャック・リスフラン(Jacques Lisfranc,1790-1847)が活躍していた.このピティエ病院と精神神経領域で有名なサルペトリエール(Salpêtrière)病院は隣りあわせで大きな病院地域を形成している.その西側の道は病院大通りと呼ばれている.
リスフランはデュプュイトランのことを「川向の肉屋の親父」と呼び捨てにして,技のよいことは認めながら,人格的には尊敬できないことを明らさまにして敵愾心をもやしていたようである.
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