患者と私
「誤り」が起きる前後
本多 憲児
1
1福島県立医科大学第1外科
pp.1936-1937
発行日 1971年12月20日
Published Date 1971/12/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1407205505
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25年前の医療事故
「患者と私」ということになるといろいろの事が思い出され,また先般本誌にのつた今永先生のお言葉のようなこと(「医事紛争の経験から」本誌26巻6号)になりそうになつたことは何回かあつた.然し幸いにして今日まで裁判沙汰にならないが,しかしその都度これで私の大学生活は終りだと何度か決心した.私は教室における医療の責任は教授にあると考えているので,事故があるときは,その瞬間よりその責任をとるつもりでいる.
25年前になるが,助教授時代に看護婦が生理的食塩水と洗浄用硼酸液を間違え静注を行ない,急性腎不全により1週間悪戦苦闘し,とうとう力及ばざることがあつた.この当時は物資があまりない時で,今の若い先生方には到底考え及ばないことと思うが,静注用の生理的食塩水も,洗浄用の生理的食塩水も,洗浄用硼酸水も皆三角コルベンに入れて消毒したものである.従つて誤りの起こることは当然考えられたことであるが,事故が起こるまでは,そういうことを少しも考えず,瓶についている記載事項を誰でも注意してみるものとのみ一人合点していたのである.
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