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1932年に米国・ニューヨークのMount Sinai病院のBurrill Bernard Crohn(図1)が同僚のGinzburgとOppenheimerとの連名で,アメリカ医師会雑誌(JAMA)誌に発表した「Regional ileitis. A pathologic and clinical entity.」と題した論文が「Crohn病」の淵源となったのは周知のとおりである.Crohnらはこの論文の冒頭で「(今回報告する疾患は)主として若年者の回腸終末部付近に生じるもので,腸管壁に壊死に引き続く結合織の過剰な増生から瘢痕化をきたす,亜急性ないし慢性の経過をたどる炎症性疾患である.このため,高頻度に腸管の内腔狭窄や周辺臓器との間に瘻孔を形成する」と,この疾患の特徴的臨床像を述べている(良性な経過をたどるため,手術的治療を受ければその生命予後は良好であるとも述べている).さらに,病因は不明であるが,これまで報告されてきたどの肉芽腫性疾患や炎症性疾患の概念とも合致しないことに言及している.なお,Crohnらは発表当時,牛(cattle)にみられる「Johne's病」(ヨーネス病:腸管のMycobacterium paratuberculosis感染症)と同じ範疇の病態であろうと考えていたようであるが,どうしてもその菌種を病原体として検出できなかったのであった.
つぎに,病理学的検索に関しては,「この論文中に提示した14症例のうち13例は同病院のA. A. Berg医師が外科手術で摘出した標本を用いた」としている.この論文では,この疾患の病理組織学所見,臨床像や身体所見(診察時の腹部の徴候)が詳しく述べられているが,これらの記述は現在の「Crohn病」のそれとほとんど変わらないので割愛する.
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